らららクラシック

世界中に巻き起こった「カラス現象」

1952年1月16日、イタリアオペラの殿堂ミラノ・スカラ座で「マリア・カラスの伝説」は幕を開けました。演じたのはソプラノにとって最も難易度が高いといわれる「ノルマ」。今まで誰も聴いたことのない完璧な彼女の歌声に聴衆は熱狂しました。スカラ座の女王となったマリア・カラスは世界の名だたる歌劇場に次々と出演し、「カラス現象」と呼ばれる熱狂の渦を巻き起こします。王族や大富豪も押しかけ、カラスの舞台を見ることは、ひとつの社会的ステータスにまでなったのです。

オペラ史を塗り替えた「カラスの挑戦」とは?

(c) Tully Potter Collection

カラスが生きたのは、映画の人気におされ、オペラがかつての輝きを失いつつあった時代。カラスは、オペラを変えようと3つの戦いに挑みます。
①美の追求:ヒロインは見た目も美しくなければならない、と50キロ以上落とし、美しく変身しました。
②演技の追及:演じられる歌手ではなく、歌える女優を目指すべきだと唱え、手の先まで神経のいきわたった白熱の演技を追及しました。
③楽譜の追求:カラスは常に、楽譜に忠実に、そこに書き込まれた感情を表現しました。
こうした常に完璧を求めるカラスの凄まじい努力は、見る人の心を揺さぶるオペラを作り出しました。

人生最後の闘い「伝説の東京公演」

マリア・カラスは35歳のとき、海運王オナシスと燃えるような恋に落ちます。すべてを捨てこの恋に身を捧げたカラスを待ち受けていたのは、残酷なオナシスの裏切り。絶望のどん底に突き落とされ、愛だけではなく、歌すら失いかけたカラスを救ったのは、これまで幾度となく共演してきたテノール歌手ジュゼッペ・ディ・ステファノでした。カラスは彼と共にワールド・ツアーを行い、その最後には日本を訪れました。不安を抱えながら望んだ最後のコンサート、奇跡の復活を遂げた歌姫に、盛大な拍手が送られました。

エピローグ

晩年、舞台からは遠ざかっていったカラスは、後進の指導に情熱を注ぎました。ジュリアード音楽院で開いた教室マスタークラスでは、未来を担う若者たちへ向けて自身のメッセージを伝えています。1977年9月16日、パリにある自宅のアパートで、ひっそりと53年の生涯を閉じました。

 

腰越満美(ソプラノ)

腰越満美(ソプラノ)

 

東京コンセルヴァトアール尚美ディプロマコース修了。
オペラにとどまらず、日本の歌曲なども含む幅広いレパートリーを持つ。
代表作には、「蝶々夫人」、「夕鶴」ほか。二期会会員。

岡田暁生(音楽学者)

岡田暁生音楽学者)

 

音楽学者。現在、京都大学人文科学研究所教授、文学博士。
西洋音楽史を研究史、オペラやクラシック音楽についての著書も多数執筆している。

 

歌劇「ノルマ」から清らかな女神よベッリーニパリ国立歌劇場管弦楽団の公演から(1958)歌劇「トスカ」第2幕から英国ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団の公演から(1964)
歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」
トゥリッドゥとサントゥツァの二重唱からマスカーニマリア・カラス(ソプラノ)
ジュゼッペ・ディ・ステファノ(テノール)
ロバート・サザーランド(ピアノ)
~1974年10月19日 NHKホール~歌劇「ドン・カルロ」から世のむなしさを知るあなたヴェルディ北ドイツ放送交響楽団の公演から(1959)