らららクラシック

ショパンとリストの青春、ライバル同士の友情

20歳のリストと21歳のショパンが出会ったのは1830年代パリ。まさにピアノの歴史を変えた運命の出会いでした。内面へ向かう詩的な叙情性を持つショパンの練習曲にリストは衝撃を受けた一方、パリの人々を虜にする華やかでわかりやすい、超絶技巧を見せ場とするリストの作品にショパンは魅了されました。お互い才能を認め合い、心だけではなく音楽的にも通じ合える友情が生まれたのです。

年上の恋人たちが引き裂いた二人の友情

当時、貴族の邸宅で開かれる「サロン」は芸術家にとっても重要な社交の場でした。貴族の女性に認められることは、パリで生きていくうえで非常に役に立ったのです。ショパンとリストもやがて年上の貴婦人と関係を持つようになりました。当初よかった恋人同士の関係が冷え切ってしまうと、恋人に逆らえないショパンとリストは疎遠になり、同じ舞台に立つことができなくなりました。1841年に開かれたショパンの演奏会について、痛烈に批判するリストの記事が雑誌に掲載されると、ショパンも公然とリストを批判するようになり、二人の仲は取り返しがつかないほどに悪化していきました。しかし、この記事、リストの恋人が影で書いていたと言われています。

ライバルの死 かつての友へのオマージュ

お互い30代半ばで恋人と別れたものの、決裂したままの二人の友情。リストは超絶技巧だけで人気を集める日々にむなしさを感じ、ドイツのワイマールで宮廷楽長の職を得ます。その矢先にショパンの訃報を聞きます。思い出されるのは、互いに天才と認め合い、音楽を熱く語り合った青春の日々。リストはショパンの音楽を改めて見つめ、その功績を弟子にも教えました。そして自分自身でも細やかで繊細な作品を作るようになったのです。リストの曲の中でももっとも人気のある「愛の夢」は、ショパンが作曲したかのような詩的な曲です。

 

これだけの才能を同じような年で同じ場所でもってるってこと自体が奇跡
清塚信也(ピアニスト)

清塚信也(ピアニスト)

 

クラシック・ピアニストの枠にとどまらず、作編曲家、さらには俳優としても活躍中。

 

「3つの夜想曲 愛の夢」から第3番リスト清塚信也(ピアノ)