らららクラシック
20世紀音楽の扉を開いた作曲家
若きドビュッシーが暮らした19世紀末のパリは、芸術家がカフェなどに集い、革新的な文化が花開く活気のある街でした。ドビュッシーもカフェで詩人や画家たちと交流し、刺激を得たといいます。そんな中、ドビュッシーが衝撃の出会いを果たしたのは、異国の様々な文化が集結した1889年のパリ万博。中でも彼の心をとらえたのは、インドネシアの民族音楽ガムランでした。それまで音楽大学で西洋音楽の伝統的な規則の数々を教え込まれていたドビュッシーは、そのような「規則」を破った音楽があってもいいと勇気付けられました。それ以来、自分が美しいと思う音を追い続けていくことになるのです。