高橋克典のウィーン紀行【2】~ワルツの秘密~

旅の特命!
ウィーンを旅してウィンナ・ワルツを探れ!
昨年オーストリア無形文化遺産にも
登録されたウィンナ・ワルツ
ウィーン人の心ともいえる重要な文化について
MC高橋克典が体を張って魅力を探る。

人々を結ぶ ワルツ

ウィーンの冬、この時期人々が楽しみにしているのが舞踏会。ウィーンでは1シーズンで450以上もの舞踏会が開かれ、人々は朝まで踊り続けます。その舞踏会に欠かせない音楽がウィンナ・ワルツ。その極意を体験するため克典さんが本場ウィーンでワルツを体験!基本的なステップは難なくマスターしてしまう克典さんですが、ワルツ独特の距離感にはドギマギ…。それもそのはず、ワルツの大きな特徴が男女が密着して踊るということ。かつて庶民の踊りだったワルツですが、風紀を乱すと禁止される時もあったほど。しかし、その色っぽさ故に貴族が変装して庶民のダンスホールに繰り出す始末。19世紀には舞踏会に欠かせない音楽になります。今ではウィーンでは15歳ぐらいになるとダンス学校に入学し、舞踏会デビューに備え、ワルツを学びます。年末年始のイベントや結婚式など「ワルツが流れると思わず踊らずにはいられない!」老いも若きも国をあげて楽しむワルツ。ウィーンの人々を結びつける大切な文化です。

ワルツ王の子孫と対面

ウィーンが誇るワルツ王ヨハン・シュトラウス。その大作曲家の子孫がウィーンにいると聞いて、克典さんが会いに行きました。出迎えてくれたのは“ワルツの父“から5代目の子孫にあたるエドゥアルト・シュトラウスさん。祖先を辿るとたくさんの音楽家がいて1600曲もの舞曲を作ったというほどの音楽一族。「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサートは一族の音楽が毎年たくさん演奏されるので、誇らしく、意識する音楽です」と語ってくれました。

名曲「美しく青きドナウ」誕生秘話

現在はオーケストラ曲として有名な「美しく青きドナウ」ですが、元は合唱曲でした。そのオリジナルの歌詞を歌い続けているというエドゥアルトさんの合唱団を訪問。作曲された当時、普墺戦争オーストリアが敗戦し、市民は困窮。そんな中、歌好きのアマチュア合唱団が市民を勇気付けたいと、ヨハン・シュトラウスに作曲を依頼し、生まれたものです。出来上がったメロディーに合唱団のメンバーが詩をつけました。歌詞の最後には「踊れ」という文字。その思いをエドゥアルトさんはこう語ります。「どんなに恐ろしい状況でも踊れと言っている。踊れば恐ろしい運命も忘れられる。当時のウィーンでできることと言ったら踊るだけという意味なのです」。本来の音楽がうたい上げるのは、仲間たちへの“メッセージ”だったのです。